優秀な君主というものが、必ずしも聖人であるとは限らない。

 

 

 たとえば綺麗ごとですべてが解決するわけではないというのは、世界のどこの歴史でも語られてきた。

 

 本当に善良な人物というものは、やっかまれたり除外されたり追放されたり―――または処刑されたりで、歴史の闇に葬られてきたものだ。

 

 

 そう、上に立つものとは、必ずなにかを背負ってでなければ務まらない。

 

 時に非情で、時に残酷で―――そして、時に、優しい。

 

 

 

 

 

 ――――そして。

 氷帝学園でカリスマ部長、カリスマ生徒会長と人々から称賛される跡部景吾もまた、聖人ではいられなかった内の、一人である。

 

 

 

 

 

 

 

Comme La Belle au bois dormant

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――代わること、は、できないけど、

 

 せめて何か支えになれたらなぁ、と跡部景吾にいつも従事している巨躯の幼馴染は、その体格に似つかわしくない繊細で清純な心のうちでそう呟いた。

 

 いつもそう思っているわけではないが、例えば跡部が部や委員会の仕事を誰にも邪魔されることない部屋をと学校側に所望し、半ば強引に借用している理事長室で、机に突っ伏して寝ている姿を見かけたときなどは特に。

 

 ――――疲れ、て、る…

 

 部活動のない日でさえいつも一緒に帰る跡部と樺地は、委員会が一緒なこともあってなおさら互いに別行動の余地はない。

 今だって他の全員から頼まれて跡部のところに持ってきた書類の中には、生徒会会計の書類も勿論入っている。

 

 

 

 ―――ちなみに、何故委員会の面々が跡部に渡す書類をわざわざ樺地に渡すのかといえば、理由はいたって簡単で、樺地を除く全員が跡部の所在を知らないからである。跡部は会長なのだから傍から見れば責任放棄にも思える行動だが、彼があの『跡部景吾』であるという事実で納得しそうなのだから不思議なものである。

 実際、我儘―――ということは勿論あるにしても、彼が非常に人気であるという点から行けば非常に理にかなっている。内部から外部に情報が漏れた場合を懼れてのことなのだろう。

 そして彼が一番信用できる『内部』―――樺地だけが、跡部の居場所を知っているのだ。

 

 

 閑話休題。

 

 

 眠っている跡部を起こさないようにと、頼まれた書類を樺地はそっと机の上に置いた。

 傾きかけた日が横向きに寝る跡部の雪白の頬を照らす。

 折角白いのに焼けてしまうなあ、と樺地はぼんやりと思った。

 

 跡部が美しい、とか、格好良い、だとかそんな風に持て囃されるのを樺地は常に傍で聞いている。

 けれど樺地はそんなことはあまり大したことのように感じてはいなかった。

 跡部は、確かに美しい、というか、素敵だと樺地は思っている。それは確かにそうだが、容姿だけの話ではない。

 例えば悪戯っ子のように笑う時とか、目の険がとれてくつろいでいる時とか、妙に気持ちが昂ぶってはしゃいでいる時とか(そういえばこの間は何を思ったかベッドから跳び下りて喜んでいた。テレビの影響らしい)、何とはなしに近づいてきて、抱きしめられたと思って振り返った時の無邪気な顔とか、滅多に見ないが、例えば涙だとか。

 そして。

 最近になって見かける、赤い顔だとか。

 

 学校では決して見せない一面、なのかもしれない。少なくとも、樺地が付き添って学校にいる中では見たことがない。

 そんな特別な一面を、嬉しい、と思ったりだとかしてしまうのは、最近少し欲張りだからだ。

 いけないなあ、と思いながらついたため息が思いのほか優しくて自分でびっくりする。

 

 

 

 

 

 そう、最近自分は欲張りなのだ。

 少し前は、跡部が強請っていたのに。

 

 

 そうそれは、本当にふとした瞬間に。

 『―――樺地』

 

 端正な顔が近づいてきたと思ったら、唇に柔らかい体温が降ってきて。

 最初こそ驚いたそれも、回数を重ねるごとに長く、深くなってきて。

 

 こんな時に思い出すなんて不謹慎だ。

 樺地には不謹慎というより、実際、眠ってる跡部に対しての罪悪感が強いのだが、どちらにしてもため息をつかざるを得ない。

 

 跡部は疲れて眠っているのだ、と思い直す。

 いや、いつもそう思い込ませている。

 

 

 

 

 

 そう、本当に、最近の自分は欲張りだ。

 

 

 

 いつもは跡部からキスを強請られる。強請られるというより、もうそこに居る。

 そして二言目に。

 『いつも、お前からはねえよな』

 

 そしてそれに自分は言葉を返せない。

 跡部はいつもそれを困っていると受け取っているのか、からかい交じりの表情で『…悪ぃ』というが、それは違う。

 

 何故なら。

 

 

 

 

 ――――い、つも、

 

 チラリと眠る跡部を見て。

 

 

 ――――跡部さんが、寝てる、時、だから。

 

 

 例えば、こんな風に跡部が疲れている時だとか。

 例えば、いつものように泊りの時だとか。

 

 眠っている跡部に、樺地はキスをする。

 

 

 起きている時には、跡部がしてくる。樺地にはできない。

 あの瞳に直視されると、なんだか自分が穢れているみたいで。かといって目を閉じててもらっていても、きっと恥ずかしさのあまりできないだろう。

 

 だから、いつも、寝ている時に、こっそり。

 ほんの少しの罪悪感を込めて。

 

 

 

 

 ふわり、と風を感じて樺地は窓に目を向けた。見れば少しだけ、窓があいている。

 そろそろ風が冷たくなるだろうと思い閉じれば、「ん…」とくぐもった声がして、樺地は振り返った。

 

 「跡部、さん?」

 

 だが返事はない。

 おそるおそるのぞいてみると、何やら眉間にしわが寄っている。

 風がなくて不快なわけでもないだろうから、様子を見る。悪い夢でも見てるのだろうか。

 

 ふと樺地は自分の持ってきた書類に、もうひとつ、束があるのを見つけた。

 帳簿の山のようだが、『文化部今年度歳入予算』、『テニス部新入部員練習報告』など、委員会の仕事に交じってテニス部のものもある。

 判子は押してあるがおそらく気になる箇所まで手が回ってないのだろう、丁寧に付箋で再度チェックの場所が貼られていた。

 

 ――――自分に、も、厳しいなあ

 

 決して妥協はしない。

 他人にも自分にも。そして、最高のものをつくる。

 そんな跡部だから、どんなに振り回されてもみんなついて行くのだ。

 

 そしてその裏でこんなにも努力していることを知っているのは、自分だけでいい。

 

 どこか独占じみた気持ちを持ちながら、樺地はふと跡部を見た。

  

 未だに寄せられている眉に苦笑する。

 

 ――――代わること、は、できない、けど、

 

 どうか、どうかお願いだから。

 

 

 ――――一人、で、抱え込まないで。

 

 

 

 祈るように、

 慈しむように、

 いたわるように、

 いとおしむように。

 

 

 

 樺地は、そっ、と。

 

 健やかな寝息をたてる息吹の門に、触れた。

 

 

 

 

 

 

 

+  +  +

 

 

 

 

 ドアを閉める音がして、

 去っていく足音がした。

 

 

 

 

 

 

 その、数秒後。

 

 

 

 

 

 

 「……クッ、」

 

 

 

 

 

 すっかり茜色に染まった理事長室内で、乾いた音が響いた。

 

 

 跡部である。

 

 

 むくりと体を起こし、跡部は、ん、と軽く伸びをする。

 

 閉められた窓を見て、そして増えた束を見て、

 

 

 そして伸ばした腕を頭へとおろして、

 

 

 

 

 

 

 ニヤリと笑った。

 

 

 

 

 

 

 「…御馳走様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――樺地は、知らなかった。

 

 

 君主は、聖人でいられない。

 聖人ではやっていけない。

 どこかの誰かが言っていたとおり、「獅子のように勇猛で、狐のごとく狡猾であれ」と。

 そして狐のごとく狡猾な男にとって、演技など朝飯前のこと。

 

 ましてや、狸寝入りなど―――

 

 

 

 (けどお前だって悪い)

 

 

 あれだけ純情な心―――それも、樺地相手にだますのは、跡部だって心苦しい。

 

 

 けれど、

 

 

 (お前、起きてたら絶対しないだろ)

 

 

 

 してほしいといったところで、きっとしない。

 

 けれど、当然の欲求だろう。

 自分が求めてばかりなんて、不公平だ。

 

 

 

 樺地が起きてる状態でもしてくれるようになったなら。

 

 その時は話してやってもいい、と跡部は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえず、それまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

La Belle au bois dormant

(けれど彼は、狡猾な眠り姫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

La Belle au bois dormant眠り姫()
Comme〜のような()