日吉若は見てしまった。
何を、といわれると困ってしまうようなことだ。
―――つまり、恋愛からはほど遠い所にいるような同級生が、まさに恋をしているところだとか。
=次期部長日吉若は見た=
それはまだ全国大会で試合をする前のことだった。
跡部が単独で立海に言ったという噂が流れ始めてから、数日が経ったある日。忍足や宍戸と試合した跡部は今まで以上、まさに格段に強くなっていた。
新しい技を完成させたらしく―――本人はまだ極めるらしいが―――その圧倒的な強さに日吉は内心で舌打ちした。
――――下克上は、まだ難しいのか。
相手が強ければ強い程、血湧き肉踊るというもの。3歳で既に下克上の精神を身に付けていた日吉にはそんな事は分かっている。
だが、日吉には時間がないのだ。
つまり、今の中3が引退するまでの時間。
日吉が入ってきた時には既に跡部が部長の座に収まっていた。
聞くと、一年の時にレギュラー陣を全て負かし、その時既に千近くの技を持っていた忍足をも屈服させて、正に実力でもぎ取ったのだという。
それを聞いたとき、日吉は愕然とした。
究極の下克上だ。実力で奪い取った権威の座。圧倒的な強さを誇り、部員を従え、突き進む。正に王者。
だが彼らは時の流れには逆らえない。
中等部を引退したら、高等部でまた跡部はトップに立つはずだ。それならば、王者を失うこの部活はどうなる。その時の部員は、同級生は。
だから日吉は勝っておかなければならなかった。跡部という絶対的王者が居なくなる前に、次の王者になるために。
全国へ向けて誰もが何時も以上に頑張る中、日吉は向日とのダブルス練習に加えて、全員が帰った後に体力トレーニングと自分の技を磨き上げていた。
もっと強く、もっと、もっと、あの人のレベルまで。
それがいつからか日吉の願いになっていた。
+ + +
ハードな練習を終えてシャワーを浴び、部室へ戻ろうとすると、部室から明かりが漏れているのが分かった。
―――俺以外にまだ誰か居るのか?
と不思議に思いながらのぞき込むと、見慣れた巨躯が目に入ってきた。
何かと謎な同級生――樺地だ。
樺地が居ると言うことはまさか、と思いドアから首を突っ込むと、青いベンチに横たわりながらタオルで顔を覆っている人物が見えた。
限りなく金に近い茶髪がタオルの縁から見えると言うことは、間違いない、跡部だ。
日吉はバッと首を引っ込める。
跡部を倒そうと頑張っていた練習の帰りに本人に会うのはなんだか気が引ける。
かと言って、シャワーを浴びた後の体を長い間外気にさらすのは危険だ。
さてどうしようかと考え込むと、ふとおかしなことに気付いた。
―――跡部部長、もしかして寝てるのか?
声がないだけではない。よくよく耳を澄ますと、規則的な呼吸音が聞こえてくる。
―――よく部室で寝れるな…
疲れているという道理は確かにあるとしても、何せ相手は日吉若、枕が違うと寝れない神経質タイプだ。
それならまぁいいかと思い日吉が一歩を踏み出そうとすると、今度は全く別の事態が起こっていた。
―――なっ…にやってんだあいつ!
何、とは単刀直入に言うと、樺地が撫でている。
問題は次だ。
誰を――――跡部を。
そう、何を隠そう、撫でられているのは絶対的な強さを誇る――あの跡部景吾だ。
―――馬鹿かあいつ!跡部部長が起きたら怒られるんじゃ・・・
そこまで考えて、ふと日吉は気付いた。
樺地の跡部を見る目がどこまでも優しくて、そして悲しいことに。
日吉は武道修業の成果もあってか、相手の目を読むことには慣れていた。だが、こういった感情を読み取ることになろうとは本人にとっても全くの想定外だ。
唐突だが、日吉が樺地を苦手だと思う理由は幾つかあった。
まずは、全く感情が読めないのだ。
純粋だかなんだか知らないが、いくら目を見ていても何も感じ取る事ができない。逆に見つめ返されると、こちらの思惑が読まれているのではと恐れすら感じる。
それでもまだ何か喋ればいいものを、全く喋らない。
何を言ってみても「おう」とか「ウス」とかそんなことばかりだ。
下手に敵意むき出しの相手より余程やりづらい。
それから、ずっと跡部について回る根性もよく分からない。尽くすことが楽しいとは思えない日吉にとっては全く未知の領域だ。
大体にしてそこに、跡部が金持らしく召使として雇っているだの何らかの理由があるなら話は別なのに、本能だの変な話が上がる始末だ。
跡部部長に聞いてもダメなら、と一度本人に聞いてみれば
「本、能だった・・・かも?」
とか完全に跡部ペースに巻き込まれているので薄気味悪くて仕方ない。
だから「バケモノ」なのだ。
肉体とか、そういう意味でなく、全体が謎に包まれている『幽霊』のような類と同じような意味合いで。
そのくせ最近になると忍足先輩までもが「日吉も跡部みたいに樺地に振り回されてきてるなあ」なんて不思議な事を言うのだから尚更苦手になってしまった。
―――けど、あいつ、なんだちゃんと、
あんなふうに『愛しい』だとか、『好きだ』とかそんな感情を隠しもしないで。
―――・・・『人間』か
いつまでも跡部の髪を撫でる樺地から目をそらして、日吉は来た道を戻った。
+ + +
次の日の昼休み、日吉は樺地を呼び出した。
「あと、べさんが・・」
と言いかけた樺地を無視して、腕を掴んで体育館裏まで連れ込んだ。
体格がでかいだけで気が小さい樺地は決して日吉の腕を振り払ったりしない。
日吉にも既にそれが分かっていた。
「単刀直入に言う」
樺地を体育館の壁に押し付けて、日吉は威圧的に言い放った。
体格差はあべこべだが、まるで恐喝現場のようだと見ている人がいたら思うだろう。
だが昼休み、お弁当の時間にこんな場所に来る人物などいなかった。
「俺は昨日遅くまで練習してた。シャワー室から返ってきて、部室にはお前と跡部部長が居た。跡部部長は寝てた。・・・言いたいこと、わかるか?」
樺地は驚いたようだった。それを証拠に目が見開いている。
日吉は知れず心の中でほくそ笑んだ。
―――よし、だいぶ分かってきた。
「俺は回りくどい事は嫌いだ。だから聞くが、お前は跡部部長が好きなのか?」
ここまで来ると流石に樺地も驚きを通り越して照れているようだった。
恐喝現場からラブシーンに変わった、と見ている人が居たなら思っただろうが、生憎上記の通り人はいない。
「いつも感情が読めないのは、抑えてるからか?」
「ウ・・・」
「無理して答えなくてもいい。ただ、俺は―――・・・我儘と思うかもしれないが、許されたい理由が欲しいだけだ。俺は何も考えないでお前を苦手に思っていたからな」
「それ、は」
そんなことない、と言いたいのだろうか。
跡部の話題を出してから一気に感情を読み取りやすくなった樺地は、日吉が思うよりも人間味に溢れていた。それこそ、今までのが何だったのかと思うぐらいに。
「やっぱり、俺、跡部さんの傍に居たい、から」
「・・・」
「でも、その理由を、知られたく、なくて」
「・・・ああ」
「・・・変、かな」
変、なんて今さら聞くのか。
―――俺にとっては、表情読めないほうが、よっぽど変だと思ったがな。
「俺は、当然だからこうあるべきだ、なんてことはあまり教わらなかった。・・・そりゃ、自然の摂理とか、常識は痛いほど叩き込まされたけどな―――けど武士道にはこんな言葉がある。『衆道は精神の恋だ』、と」
「・・・」
「だから俺は、お前が跡部部長をどう想おうが、別にそんな事は何とも思わない。・・・現にそれなら、うちに危険分子が一人いるんだ。そんなやつが今さら増えたところでどうってことない・・・っていうよりも、それぐらいの器でいなきゃいけないだろう」
ここに居ないもう一人の二年レギュラーの顔を思い出して日吉は深いため息をつく。
宍戸先輩至上主義がどこまでの感情かは測りかねるにしても、危険分子に変わりはない。
だが問題はそこじゃないのだ。
要は、次の世代を、三人で作り上げなければならない。
絶対的王者を失うことになったとしても、失うのではなく、その力を土台にして新しく作り上げるようなトップでなければならないのだ。
「だから、俺はお前が『人間』でよかったと、今はそれに安心しているんだ」
「日吉・・・」
「ったく、早く言えよお前も、そんな―――」
何十年も秘めてきた思いを、無表情の仮面になんか隠してねえで
誰かに頼っちまえばよかったのに
「うん、でも、俺・・ただでさえ、こんな、だから・・・」
「だから余計人間味がなくなると怖くなるんだろうが。知っとけよ。まだ誰かに恋してますって方が自然じゃねえか。あんなに尽くしといて」
「・・・うん。・・・で、あのさ、日吉」
「あ?」
(強く、強くなって)
(三人で、がんばればいい、なんて)
(「『衆道』って・・・なに?」)
(「・・・・」)
|あとがき|
日吉と樺地がどうなるか、気になって捏造。
やっぱりね、日吉は良い奴だと思うんだ。