―――――まだ、終わっていない。
あの大会が終わっても、俺たちの、俺の戦いは、まだ。
玉座につく、その日まで
全国大会が終わり、喧噪の秋が過ぎると、冬の到来とともに氷帝テニス部の中は妙にしんみりとし始めた。
誰もが見ていたあの試合のすごさは、今だ目に焼きついている。そして誰もが漠然とした不安を抱えている。来年はあんな学校と闘うのか、そしてあんな学校と・・・その時、自分は勝てるのか、それほどに強くなれるのか。
誰もが言わないでいるものの、誰もが抱えている不安は、徐々に部全体を蝕んでいった。
しかしその不安の頂点に立っているのは、他の誰でもない日吉だった。
普通ならここで次期部長らしく部員の不安を払拭してしまえばいい。だが、彼にはそれができないでいた。
――――まだ、俺は勝っていない
あの絶対的王者であり、征服者である跡部景吾に。
自分の不安もぬぐえずに、他者の不安などぬぐえるはずもない。
それが日吉の考えだった。
そしてその考えは尤もだった。尤もだったからこそ、日吉が毎日身を削るように練習するのを、誰も止められないでいた。
腕を壊さぬよう気をつけつつも、誰よりもがむしゃらに練習した。
「日吉らしくないよ」、と鳳に遠まわしな忠告をされても、頭でわかっているだけでどうしたらいいのかはわからなかった。
とにかく強くならなければ。
じゃなければ、この不安はぬぐえない。自分が部長になる限りは、必ず。
――――だがその日吉の不安は、ある日突然ぬぐわれることとなる。
「日吉、コート出ろ」
他の中三に比べ、比較的姿を見せなかった跡部が、自主練中の部員の中へ突然部活の時と同じレギュラーのジャージ姿でコートへと現れた。
跡部から発せられた一言に周りがざわつくなか、日吉はひとり呆然と立ち尽くす。
突然現れ、しかも、突然指名が入る。
――――一体、何だっていうんだ。
だが、何時になく真剣な跡部の瞳を見て、その理由はすぐに察せられた。
――――中等部最後の試合を、ここでやるつもりか。
最後まで王者振りを見せるつもりなのか、華々しく散るつもりなのかは分からない。
いずれにしても日吉にとっては好都合だった。
勝てば、はっきりする。次期部長にとってふさわしい男かどうか。
だが、負ければ――――――
「・・・わかりました、やりましょう」
日吉はラケットのグリップを、ぐっと握りしめた。
試合は誰もが想像していなかった程に白熱した。
これほどまでに試合が盛り上がったのは宍戸の下剋上以来だ、と誰かが言ったが、その試合に負けるとも劣らないほどの迫力に、見ている部員たちは全員気圧された。
一応現部長である跡部と、一応次期部長である日吉の試合は予想以上に長く続いた。
巨大なエネルギーとエネルギーのぶつかり合い。
そしてそれが生み出す熱が確実に部員達に伝わっていた。
―――――これが、テニスなのか?
意識が遠のき始めた頭の中で、日吉は自分自身に聞いた。
―――――こんな風に、打ち、打たれ、点数を取り、だけど。
なぜだか笑いたくなるような衝動をこらえて。
―――――血が、沸く。
「下剋・・・上等おおおおおおおおおおおお!!!!」
日吉の打ったサーブが、コートに叩きつけられた。
誰もが手に汗を握り固唾をのんで見守る中、試合は終了した。
「5−7・・・・・・・・・勝者跡部!!」
しばらく呆然としていた観客たちは、審判の声でハッと我に返ると、歓声をあげ、盛大な拍手した。
跡部が手を挙げる。試合終了の合図とともに、日吉はコートの上に力尽きて倒れた。
だから日吉は気付かなかったかもしれない。拍手は跡部へも向けられていたが、日吉にも向けられていたという事を。
歓声が次第に小さくなるのを待って、跡部はもう一度手を挙げた。
何事かと途端に場内が静かになったので、日吉も上半身をあげる。
と、跡部は流した汗も拭わずに、肩で息をつきながら口を開いた。
「俺はこれで、この中等テニス部を引退する!」
突然の跡部の宣言に、場内が少しざわついた。中には跡部のファンも居て、若干涙ぐんでいた。後輩たちにおいては、開いた口が塞がらないようだ。
考えもしなかったのだろう。
絶対的に部を支配してきた存在が、これから居なくなるという事実。
考えてみれば中等部を卒業するのだから当たり前のことなのに、誰もがその事実を考えてはいなかった。いや、考えたくない者も居たのかもしれない。
「だが」
はっきりと伝わる跡部の声に、誰もが耳を傾けた。
日吉も例外ではない。
――――『だが』?
まさかこのまま居るとか、言うわけではないだろうな、と普通ならあり得ないこと―――でも跡部だからその可能性もあること―――を考えて、日吉は眉を寄せる。
「俺が居なくなったとしても、この部は問題ない」
「次の部長(キング)はお前だ、日吉」
時間が、止まったかと思った。
呆然とする日吉と、観衆。
最初に動いたのは、鳳と樺地だった。
「おめでとう、日吉!」
そう言いながら拍手する鳳と、その言葉を受けて頷いて、無言のまま拍手をする樺地。
すると周りもその影響を受けたのか、テニス部後輩、そして周りの一般観衆へと拍手が広がった。
中には指笛や口笛を吹いて祝う奴もいる。
だがそんな事態になってもまだ、日吉は呆然としていた。
あまりに衝撃が大きくて、何が起きたのかわからない。
――――だって、俺は。
試合に負けたはずだ。必ず勝つと意気込んで挑んだ試合に。
だって言うのに、それでも。
「――――日吉」
誰にも聞こえないような、落ち着いた声が日吉の耳に届いた。
今迄に聞いたことがないような穏やかな声だったので、それが目の前で毅然と立つ跡部から発せられたのだと理解するまでに少し時間がかかったが、日吉は顔をあげた。
「俺は、全力で戦う男だ。誰に対しても容赦はしない。」
――――そうだ、氷のような目で、この人は何時も相手のすべてを見抜き、完膚なきまでに叩きのめす。
「・・・知っています」
日吉にはそう返すのがやっとだった。
――――遠く感じられた。下剋上がどうのと言う前に、俺は、自分の事さえ、まだ。
そんな事を考えて日吉が項垂れると、跡部がこちらを向くのが雰囲気で察せられた。
「だから、」
一呼吸おいて、跡部は続けた。
「これが俺の全力だ」
「お前はそれに立ち向かってきたんだ、日吉」
――――息が、止まる。
「俺が次の部長(キング)がお前だと言ったらお前にはその素質がある。―――忘れるな」
そして言葉が続く。
「それでもお前は、まだ俺に勝っていないんだという事を」
――――ああ、そういうことか。
日吉は焦っていた。
部活から絶対的権威が消えることを。
だけど日吉が何よりも恐れていたのは、『上』が消えることだった。
上を目指し、上に行き、そして目指すものがなくなったら、何を指標にしたらいいのかが分からない。
それが、怖かったのだ。
「・・・・ありがとうございます、跡部部長」
コート上から去ろうとする背中に、正座して呟いた。
その言葉を受け取ると、跡部は立ち止まり、振り返らずに応える。
「俺じゃねえ。あいつらに言いな」
そういって跡部が差したのは、観客席の真ん中で笑みを浮かべる鳳と、その傍でいくらか表情を柔らかくした樺地だった。
なるほどおそらく、近頃の日吉の勢いを見て鳳と樺地が跡部に頼み込んだのだろう。
――――余計なことしやがって・・・
日吉はそう心の中で呟いたが、言うほどにはそう思っていない自分に気がついた。
少しは胸の重みがとれて、清涼とした心地があるのは確かなのだ。
少し癪ではあるが感謝すべきかもしれない、と秘かに思った。
と、思い出したかのように跡部は顔だけ振り向いて、今までと全く違った態度で言う。
「―――それから」
心なしか目つきが険しくて、日吉は軽く目を見開く。
「言っとくが、俺が引退しても『あいつ』に手ぇ出すんじゃねえぞ」
最近お前ら仲良いそうじゃねえか、と付け足されて日吉は瞠目した。
よく理解できない頭をフル回転させて、今までの流れから推理する。
跡部の視線の先、拗ねたような口調、『あいつ』。
――――ああ、アレか。
思い出したのは、もう何か月前のことか、今まで謎に包まれていた同級生を体育館裏に呼び出した日のこと。
『やっぱり、俺、跡部さんの傍に居たい、から』
『でも、その理由を、知られたく、なくて』
『・・・変、かな』
何時もそばに居るけれど、その理由を知られたくないと怖がっていた同級生。
けれどその想い人は、自分に牽制をしかけている。
それがどんな感情から来るかなんて、誰から見ても明らかで。
――――なんなんだ、お前ら。
言えない、言えるはずのない想いをお互いの中に溜めこんで。
それを何十年分も心の中に蓄積させているなんて。
ああ、なんて面倒な奴らなんだ――――
日吉は心の中でため息をつくと、一言だけ、口にした。
「さあ?」
しかし滅多に笑わない日吉が笑いながらいうソレは、効果絶大で。
固まった跡部の顔が視界の隅に見えた。
そのままコートを立ち去ろうとすると、「日吉、てめえ・・・!」という声が後ろから追ってくる。
――――もしかしたら一つは、あの人を追い越すことが出来たんだろうか
自然に上がる口角をそのままに、日吉は空を見上げた。
雲ひとつない青空が、どこまでも広がっていた。
Fin.
|あとがき|
えー…ブログで日付を見ていただければおわかりかと思いますが、
許斐先生もやられたこのネタを…私はSQで掲載される前に書いていたんですね…!←
というか正直、許斐先生が日吉vs跡部を描かれた時、「あれっ許斐先生、うちのサイト見てるんj←」とか思ったものですが…
しかしやはりこう…書いたものを改めて見直すと、もう全然!許斐先生には髪の毛一筋程も届かないということがよく分かるものです。(当然)
えー、というわけで。
改めてこんなものかいてんじゃねーよ的な御声もありますでしょうが、まあそこはぐっと飲み込んでいただきましてですね、
どうぞ管理人に温かい眼差しをと思います。
どうも本当にすみませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!