跡部景吾という男を常識で測るのは実際無理なので、誰もが諦めている。
彼がどんなサプライズを催そうが、たったこれだけのことにここまでする必要があるのかと思うようなことがあろうが、氷帝メンバーたちは、実際、2年近くの付き合いで説得も突っ込みも諦めてきた。
むしろ、体が跡部になじんでしまい、少しのイベントで物足りなさを感じていると、途端激しい自己嫌悪に襲われるのだという。
とにかく、彼らは跡部景吾という男を一般常識という物差しに当てはめようとするのは愚行であるというのを知っていたのだ。
が、流石の彼らも、こればっかりには、もはや常識は諦めるから頼むから空気を読んでくれと懇願するほかなかった。
……事件はまさに今、テニス部の部室で起きている。
恋は盲目、愛は妄執
それは校庭の隅にある銀杏のフレディ(つまり葉っぱの最後の一枚)が完全に落ち切り、窓を開ければたちまち冷気が肌をさすようになった冬も間近な日のことだ。
まだ大丈夫だろうと思って長ジャージ(長そで)を持ってこなかった宍戸が、レギュラージャージに着替え途中突然やってきた冷気に、どうして急に寒くなるんだよ!と曇りかけの空と朝のお天気お姉さんを恨んでいると、ふわ、と柔らかい感触を肩に感じたのだ。
不思議に思ってみると、肩に掛けられていたのは長ジャージだった。
寒さが襲ってきていたのでありがたく感じながら、はて一体誰のかとお礼を言うための口が、上を見上げて止まった。
なんと、宍戸の背後に立っていたのは跡部だったのである。
これには宍戸も閉口した。というか冷や汗をかいた。
なぜならこの天上天下唯我独尊を、『世界は自分を中心に回ってる』と誤解釈をするような男が、まさか宍戸を憐れんででも物を貸すとは思えない。
いやよしんばそう思えたとしても、見返りに何がつくか分かったものではない。
そこまでを、優秀な反射神経をもってして考えると、宍戸は遠慮するために口を開いた。
と、次の瞬間、宍戸は信じられないものを耳にしたのである。
「今日は寒いだろ―――それ着とけ」
………
?
絶対に幻聴だと思った。
いやいや思うも何も幻聴だ。
跡部の口は動いてはいたけどそうこれは幻聴だ。
いや、うん、幻聴だよな?(by宍戸)
宍戸の周りにいたメンバーも驚愕の色を顕わにして何かを落としたりだとか口が開いたりだとか随分古典的な表現をしている。
しかしそんな宍戸も自分のことは言えなかった。
口を開いたまま驚きで何も言えず、固まってしまったのだから。
「えーと…跡部君?いや跡部景吾君?いえ跡部景吾様?」
凍りついた部室の空気をふいに破ったのは、ずいぶん硬い忍足の声だった。
「なんだよ」
「なん、物…貸すん?お金っちゅーか…ほら、なんかあるやろ、なあ」
普通友達の間での貸し借りに金の運用などないはずなのだが、そこは跡部景吾、常識では推し量れない男だ。
だがひきつったような笑みを浮かべる忍足の顔を見ながら、跡部は怪訝そうな表情で口を開いた。
「…?お前も不思議なことい言う奴だな忍足。同じチームのメンバーが風邪でも引いたら大変だろ」
……あなた だ れ で す か
全員が知っている。
以前忍足がジャージを忘れた日、跡部が「寒いと思うから寒いんだ」「でも風邪引いてまうかも知れんやん!」「?別に俺に害がないなら誰が引こうと関係ねえ」と言い放ったことを。
そして全員が知っている。
そのあと樺地が自分の長ジャージを忘れたといったら、跡部邸の召使いを総動員させ跡部が届けさせたことを。
「樺地、これ使え!」「?こ、れ」「なんか良くわからんが爺やが俺様のものと勘違いして持ってきてくれたみたいだ」「…?勘、違いで?」「多分お前俺のところに忘れてったんだろ」「…???」「いらねえのか?」「!い、え、」「じゃあ、まあそういうことにしとけ」
そう言って綺麗に笑う跡部に絆されて、樺地は真っ赤な顔で頷いた―――のは余談で、つまり跡部の頭の中で、優先順位が1.樺地でストップしていることを誰もが理解した瞬間だった。
だがこれは一体何が起こっているのか。
誰もが呆然としたまま停止してしまった思考をなんとか回し始めると、そういえば樺地が居ないことに気づいた。
跡部に何らかの―――それもとても大きな―――変化があったのは間違いない。
だが何があったのか聞けそうな人物は今ここに居ないのだ。
何か怪しい。
通常の跡部ならば樺地がいない時点で5分も経てば暴れだすというのに、なぜか今日はどこか余裕の表情すら浮かべている。
これは、まさか。
「跡部…樺地居ねえけど…なんかあったのかよ?」
聞きたくはないけれど、逆に聞いておかなければならないような気がして、向日は恐る恐る尋ねた。
これも自己保身のためだ、と本能が告げている。
誰もが跡部の答えを聞こうと注目する中、跡部はそんな向日の言葉に、待ってましたとでもいうかのように微笑んだ。
その嫣然とした微笑みの背景に、大輪の薔薇が大量に咲き誇っているように見えたのは、メンバーの錯覚なのであろうか。
「―――聞きたいか?」
すいませんごめんなさいやっぱいいです。
――――といえるほどの勇気は、あいにくメンバーの間にはなく。
「聞きたいか!?聞きたいよな、そうだろう!なんてたって俺様と樺地愛の抒情詩―――いや記念日をお前らに知らせてやるのも悪くはねえ。まあ俺様としてはこう…秘められた二人の記念日…ってのも奥ゆかしいあいつに似合うからな!秘密のままでもいいんだが――――」
じゃあ奥ゆかしい樺地に免じて秘められたままでもいいです、と全員が思ったが、全員言うことができない。
なぜならこの男を止められるのは彼らの認識上この地上でただ一人、そしてその一人は今この場所にはいないのだ。
「あのー、跡部さん、俺ら早よ部活行きたいねん。せやから、その、なんやろ、結論だけお聞かせ願えます?」
まだ何事かを恍惚とした表情で話す跡部に、忍足が挙手をして発言した。
その忍足の勇気と行動力に、その場にいたメンバーは拍手すらしたという。(そして宍戸はスタンディングオベーションをした)
と、そんな忍足の発言に当然の如く気分を害されたのか、跡部は溶けてしまいそうな表情から一転して、その切れ長の瞳をフル活用して忍足を睨む。
インサイトという技が使われることもあって、跡部の眼力は無駄に強い。
そんな目で、しかも全力で睨まれて忍足は気を失う、かと思われた。
「チッ……しょうがねえ。部活にまで支障をきたしたんじゃ、照れたあいつがなんていうか分からないからな…。まあ流石に、俺様もあいつが恥ずかしがるようなことはしたくねえし」
それをどの口が言うのだろう、とメンバー全員が思ったが、跡部のほうから早めに切り上げてくれるというのは何とも好都合なので黙っておく。
と、次の瞬間、問題発言は舞い込んだ。
「昨日樺地とセックスした」
「「「「「ちょ、おおおおおおおおおおおおおおおおぅい!!!!!」」」」」
狭い部室に全員の叫び声が響き渡る。
地響きが感じられたのはおそらく気のせいではない。普段は温厚な顔立ちをしている芥川までもが凄惨な表情を顔に浮かべていた。
「すいませんやっぱり途中経過大事でしたっていうか跡部様頼むからもっと真綿にくるんだ言い方してぇな!!」
「堂々と言うなよクソクソ跡部!」
「樺地…!守ってやれなくてごめんな…!!!」
「へぇ、跡部おめでとう。赤飯はどっちに炊いた方がいいの?跡部?樺地?」
「滝さんもうこれ以上聞くのはやめません!?」
全員がそれぞれ悲痛な叫びをあげる中、ただ一人跡部は何事か思い出しているのかうっとりとした表情で、こう宣言したのだ。
「っというわけだ。樺地はもう名実ともに俺様のものになったんだからな!!手ぇ出してみろ。足の裏から五寸釘ぶっさして傷口から蝋を垂れ流しにした挙句生きたまま火あぶりにするつもりだから覚悟しろ!!!」
「いややーーーーーーーーーーー!!!!何でそんなグロイこと平気で言えるん!?」
「っつーか名実って…名はどっから来てるんだよ跡部…」
「マジで激ダサ…いやもうなんつったらいーのか分かんねーわ俺…」
「良かったねえ跡部」
「おめでとうございます!!」
「滝さんも鳳も無神経な発言はやめてください!!」
ああ樺地。
本当にいいのかお前はそれで。
もっと他にも良い人って世の中にはたくさん…いや、勿論樺地がお金を目当てで跡部に取り入ってるわけではないのは全員知っているし、だからこそ跡部も信用して傍に置いているのだろう。
下手にお金目当ての相手より性質が悪い。
未だに「やっぱりハネムーンはジュネーブだよな」などとぶつぶつ言っている跡部を哀れな目で見つつ、全員その場をそっと去った。
ああ愛は怖や怖や。
|おまけ!|
翌日。
樺地「おはようござい、ます」
忍足「あ、ああおはよ…」
樺地「…?忍足、さん?顔色悪い…」
忍足「あ、ああやさしいなあ樺地は…けどそれ以上近づくとry」
跡部「そこにいるのは忍足か?おはよう。ところで忍足、五寸釘ってどこで売ってるか知ってるか?」
忍足「本当にすみませんでした」
跡部「何がだよ」
忍足「もう樺地には近づきませんから」
跡部「あとお前、あいつに優しいとかいって口説きやがったろ」
忍足「いや本当口説いてるつもりとかなかったんですほんま…」
跡部「仕方ねえな…半減してやるぜ蝋燭ってどこで売ってるんだろうなあ?」
忍足「いやーーーー!!!!ほんまにごめんなさい!すみません!俺そんな趣味ないねん跡部様!」
向日「俺…ゆーしのこと今はじめて可哀そうだと思った…」
宍戸「それまで思ってもなかったお前に驚きだけどな」
滝「うんでもなんとなく、わかる気がする」
日吉「格差社会を地獄絵図的に表わすとしたら、こんな感じなんでしょうね」
樺地「ウ…!?」
跡部「樺地大丈夫だ。お前に害のあるものは全てこの俺様が排除しておくからな!」
ならお前を排除しろ。
彼らの声にならぬ主張は、とうとう放たれることなく胸の奥で重く響き渡ったという。
あとがき。
セロリ様…
怒ってます?(そりゃあな)
一応跡樺っぽく…そして尚且つ下品要素を入れてもいいとのことでしたので下品要素を…
ただなんだかもうほんとカオスですみません。
世の中と樺跡樺がカオスなのです。私の中で!(お前の中でかよ)
書いててとっても楽しかったのですが、読み返してみると跡部がとことん可哀想な奴になってしまいました!
一応言わせたかったセリフは言わせたので満足です←
本当に、リクエストに沿っているのか甚だ疑問なんですけど…
こんなものでよかったら、お納めください。
本当に、すみません&ありがとうございましたああああああああああああああっっっっ!!!!!!