きっと誰もが考えている。

この世界の中にたった一人、たった一人だけの者。赤い糸でも何色の糸でも良い。自分が寄りかかることの出来る者、甘えられる者、そして甘えさせたい者。

この世への拠り所を求めて、時にさまよい、時に傷つき、泣く。

 

 

だが自分は幼いあの頃にもう手に入れてしまった。

拠り所の本当の意味も分からない、それでも確かにそれを必要としていた、遠い遠いあの頃に。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――Everybody Needs Somebody―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

けいごはしっかりしなきゃいけないんだ

 

 

 

どうして?

 

 

 

お父様の跡を立派に継ぐ為よ、分かる?

 

 

 

お父様の?

 

 

 

そうだ、だから勉強もスポーツも、人一倍出来なきゃいけない

 

 

 

出来ないとどうなるの?

 

 

 

出来ないなんて言わないで景吾、できたら幸せになれるのよ。出来なかった人は不幸になってしまうの。

 

 

 

だったら僕、頑張るよ!そうしたらお父様―――

 

 

 

そうか、良い子だ景吾は。じゃあさっそく家庭教師の手配をしよう。

 

 

 

ええ、そうしましょう。

 

 

 

待って、お父様、お母様――――

 

 

 

 

待って―――――――!!!

 

 

 

 

 

 

 

あの頃欲しかった幸せはお金じゃなかった。

普段家にいない父親と母親。

家に沢山居た使用人は、けれど皆疎遠な感じがした。

上を向いていないと話せない、幼い時には何もかもが壁だった。

 

 

何かのパーティーで同い年の子供と出会っても、誰もが卑屈だった。

それぞれがそれぞれに、年相応らしさをどこかへ忘れてきたような、そんな気がした。

 

 

 

 

 

―――――欲しいものは、こんなものじゃないのに

 

 

 

 

 

イイコネ、ケイゴハ

 

 

ホントウニアトベサンチノ オコサマハ シッカリシテイラッシャル

 

 

ツギノアトツギニピッタリデスコト

 

 

 

 

 

それでも、願いと世間の間で雁字搦めになっていた。

 

 

誰かに聞いて欲しいと思いながら、それでも実は、誰にも知られたくなかった。

 

特に、同じ子供などには。

 

 

 

しばしば子供にしては重すぎたストレスのせいで吐いたり体調を崩すこともしばしばだった。

だがそれも、子供に良くある症状として少し寝かされただけで終わった。

 

 

何も、何も望まなかった子供の、それでもささやかな願いは、誰にも聞いてもらえなかった。

 

 

 

 

 

――――4歳の時、幼稚園で『拠り所』に出会うまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おまえ、あとべざいばつのむすこなんだろ」

 

 

跡部より一回りも大きい男子が一人で絵本を読んでいた跡部へと近付いてきて言った。

跡部がそいつをチラリと見ると、赤いネームワッペンが目に入った。

赤のネームワッペンは年上の証拠である。

だが跡部はそのとき、そんなことも関係なく、『バカな発音するやつ、ひょっとして漢字を知らないのか?』などと4歳男子にあるまじき考えを起こしていた訳だったが、勿論相手の男子にそのような事が伝わるはずもない。

 

 

「ちょっと、かおかせよおまえ」

 

ニヤニヤと笑いながらその男子は跡部の肩に触れた。

よく見ればその男子の後ろには、小さくて見えなかったが、数人の男子が同じくニヤニヤと笑っていたのだが、その笑みが示唆するものを子供の跡部は知らずにいた。

よって。

 

 

「――――触るな」

 

 

 

パシッと小さい手で肩に触れていた手を払いのけると、跡部は絵本を持って移動しようとした。

 

が、手を払われた男子は顔を真っ赤にし、怒りにふるえた。

 

 

 

 

「て……っめえええええ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――次の瞬間、跡部の体は吹っ飛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝敗など決まっている。

 

跡部は子供に似合わぬ溜め息をついて、体についた土を払った。

 

 

 

 

―――――この俺さまにケンカを売ろうなんて、百年早いんだよ、バーカ

 

 

何せ跡部家は世界にその名を広げるほどの世界屈指の財閥である。

 

犯罪についての対策は、一流のボディーガードと一流の防犯システムによって常に安全な状態に保たれている。

ただし、万一と言う場合も考えて、父親も母親もそれなりの護身術を身につけていた。

勿論それは人息子である景吾も例外ではない。

4歳児という子供ではあるが、誘拐されやすい年齢ということも考慮されて、財閥の一人息子らしくプロの格闘家を雇ってまで形だけでも身につけた格闘技であった。しかしそれにしても、こんな幼稚園の片隅で早速活用されるなど誰が想像しただろう。

 

実質跡部自身には何の怪我もなく、むしろ心配されるべきは大人数でかかっていった子供たちのほうであった。

 

だが、それでも跡部はなんだかとても泣きたかった。

 

はたから見れば少し面倒くさそうに土を払っている子供の姿にしか見えなかったが、実はその心の奥で、跡部はとても泣きそうだった。

 

 

――――――――家のことだって、なんだって、俺さまにはかん係ないのに、

 

 

友達はいない。

信じられるような相手がまずいない。

頼りにしている両親も、いない。

 

 

――――――――世界で、俺さま、ただ一人だ。

 

 

心の奥で泣いていた。

決して表面には出なくても、幼く傷つきやすい繊細な心が、確かに内側で悲鳴をあげていた。

何も望まない少年の心は、けれど、たった一つ、本当に大切なものが欲しいだけなのに――――

 

 

 

 

 

と、氷帝幼稚園独特のきれいなパステルブルーの服が、引っ張られていることに跡部は気付いた。

 

まさかまだやる気か、と身構えて、後ろを振り向く。

と、見たことのない顔の男子がそこに立っていた。

 

 

 

―――跡部がまず驚いたのは、その身長だ。

ネームワッペンは濃い青で、これは跡部の黄色よりも年下であることを表している。

だというのに先ほどの年上の男子と負けずとも劣らないほどでかい。

 

そしてもう一つ驚いたことには、泣きそうな顔で立っているのだ。

それも、なぜかとても悲しそうな顔で。

 

 

「な、なんだよ」

 

服を掴んではいるものの、何も言わない相手に跡部は怯んだ様子を見せる。

と、ゆっくりと、それもたどたどしい口調で相手は口を開いた。

 

「ケンカ・・・・ダメ」

「ああ?」

「ケンカ、どっちもいたいから、ダメだって、おかあ、さんが・・・」

 

あと先生も、と付け足すその男子に、跡部は片眉をあげた。

 

―――――――何言ってんだ、コイツ。

 

「分かったよ、俺が悪いっていいたいんだろ。」

 

跡部はとにかく早く立ち去りたかった。

なんだか苦手な瞳をしている。まるで何もかも見透かされているような。

全く冗だんじゃない、と思った。

 

大人でさえ嫌なのに、まして自分より年下の子供に心を見透かされるわけにはいかなかったし、そんなことは、子供ながらにして築き上げられた跡部のプライドが許さなかった。

 

さて立ち去ろうと思って足早に歩くと、自分の足音の後に続く足音がある。

 

何事かと思い振り返れば、先ほどの男子が自分の後を付いてきていた。

 

「何だよお前、まだ何かあんのかよ!?」

 

声を荒げてそう問うと、人一倍大きいくせにおどおどした様子のその男子は、これまたおどおどとした口調で足を開いた。

 

「別に・・・何も・・・ない、けど」

「じゃあついてくんな!」

 

何か理由があるわけではなかった。けれどただ怖かった。

 

捕まれば終わってしまう。

何が、かはわからない漠然とした不安だった。けれどそれは小さい胸には十分すぎる恐怖として形を変えて迫ってきた。

 

「でも・・・泣きそう、だよ」

 

くるりと後ろを向いた跡部は、しかしその一言にピタリと動きを止めてしまった。

 

―――――――泣きそう?だれが?

 

「―――っ、ざけんな!」

 

何か分からない、熱い怒りの洪水のようなものが跡部の胸の中を迸り、そして声に出た。

 

「お前に何がわかるんだ、何も、俺さまの何も知らないくせに、何で、そんな」

 

――――――ずっと寂しかった、独りで、でもそんな事実を知られたくなかった。

 

知られて、言われたら、本当に独りだと思い知らされるようで。

 

 

「お前なんか、何も知らないくせに!!!」

 

 

何を叫んでいるのか跡部自身わからなかった。

でも跡部が叫ぶたび、目の前のそいつがビクリと肩を震わせていて、なんだか哀れだった。

 

全然見も知らぬ他人にこれだけ叫ばれたら、普通の子供なら逃げて行ってしまうところだ。

だが目の前の男子はそれをしなかった。

ひたすら叫ばれるのに耐えながら、跡部の言葉が終るのを待っていた。

 

 

「・・・で、も」

 

ポツリと漏らされた言葉に跡部が顔をあげた。

眉毛はハの字になっていていかにも泣きそうなのに、声はしっかりしていた。

 

 

「つらいって、ないてる・・・から」

 

 

 

 

「ぼくが、そばにいるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――なんだよ、それ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なきたいときは、こすっちゃ、だめなんだよ、」

 

 

 

「だれもみてない、し」

 

 

 

「ないても、ちゃんと、いるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――ずっと怖かった。

 

 

泣くような弱い子供でいれば、必要とされなくなるんじゃないかと思ってた。

 

 

泣いたら、家にいる大人も、パーティーに居る子供にも――――親にも、見放される気がして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

泣き方を忘れていたた子供は、変な声を上げながら、不格好に、それでも確かな『拠り所』を見つけて、泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・」

「ウス?」

 

 

「・・・いや、なんでもない。思い出した。」

 

 

 

―――――――11年前の今日、救われたあの日のことを。

 

 

「樺地・・・今日、泊っていけ」

「ウス」

「家に電話、するか?」

「いえ・・・」

「ア〜ン?」

 

 

「なんとなく・・・・そう言われると思って、言って、おきました」

 

 

 

「・・・・。ったく、昔から俺の考えを読むのがうめえよな、お前は」

 

 

 

――――――できればそろそろ、もうちょっと違う考えも読んでくれねえか、とは言わねえが。

 

 

 

 

 

 

 

あの日から、俺の心は捕らわれたままだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あの時君と出会えたこと、運命だと思ってしまうんだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

|あとがき|

運命ですよ←