※この話は、

第一話『透明

第二話『色付透明

の続きです。

よろしければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意気込んでから、なにか違和感があると気付いた。

 

 

 そして、それが何であるかを悟るのにそう時間はかからなかった。

 

 

 

 結論から考えればそれは実に簡単なことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は樺地に、避けられているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

透明からはりなく程遠い想い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唐突だったあの告白の事件からは、すでに二週間が経とうとしていた。そして聡明なる跡部景吾がその事実が何を意味しているかなど分からないはずもなく。

 

 (―――やっぱり、今日も会えやしねえ!!)

 

 驚いたことに、高校と中学という障害はあったにしても、2週間前より前は会うということがこれほど困難ではなかったのにもかかわらず、跡部と樺地は、会えなかった。

 樺地と同クラスの友人、また日吉や鳳に尋ねてみれば、返ってくる答えは「中学生徒会の仕事」だの「部活の会計打ち合わせ」だのと様々だったが、跡部には分かっていた。樺地が、跡部に会おうとしないのだ。

 別に跡部に尋ねられた人々が―――日吉たちも含め―――跡部に嘘をついているという訳ではないだろう。そうではなくて、樺地が跡部のスケジュールに合わせて今まで行動していたということならば、跡部のスケジュールに『合わせて』、今までとは逆に会わないようにすることもできるのだ。

 

 (…くそ、そんなに会いたくねえか?)

 

 自分が樺地であっても、もしかしたら避けるかもしれない、という考えがよぎって、跡部は首を振った。

 今はそんな風に弱気になっている場合ではないのだ。何とかして樺地を見つけ出さなければならない。そうでなければこのまま消えてしまいそうな気もするのだ。

 

 普段は絶対に行かない場所に自ら赴いてまで探しているという事実が、跡部の矜持に触れているということもあるのかもしれないが、跡部は樺地を見つけるまでは帰らないと不思議な使命感に燃えていた。

 

 (帰ってはねえよな?…靴のこってたもんな)

 

 万が一ということも考えて下駄箱を開いて見てみると樺地の靴はそのまま残っていたのを跡部は事前に確認していたのである。

 そこでハタ、と跡部は足をとめた。

 

 (―――馬鹿か俺様!)

 

 そうだ靴。あれがなければ帰れないのだから、最初からあそこで待っていればよかったのだ。いや、待つという考えがなかったのだから仕方ない。多くの生徒が残っているであろう校舎で跡部が誰かを待っていれば、たちまち人々の噂に上るということを恐れたのだ。ましてそれが樺地ならばなおさら。不仲説もあがるかもしれない。生来から様々な事を噂されてきた跡部にとっては、噂など気にするには値しなかったが、樺地を巻き込むことだけはしたくなかった。

 

 (―――そうだ、その理由も気付いたから、だから会いてえのに)

 

 先日の事件を思い出して跡部は唇をかむ。

 もう誰にも触れさせることだってしたくないし、あんな風に近づけさせてもやりたくねえ。

 まるで子供のような独占欲だと分かっていながら、それでも、跡部は我慢できなかった。もともと我慢などできる性質(タチ)ではないのだから当然と言えば当然だ。とにかく今日こそはなんとしても伝えなければと意気込んで、中三の下駄箱へと足を速めた。

 

 ここまで来るのにこれだけ時間がかかったのは、跡部が自分の思いを自覚したその日に、高一メンバ全員に送ったメールが原因だった。

 『俺様は樺地に告白することにした。以上』

 一文。されどその一文がメンバー達にどれほどの影響を与えたのかは想像通りである。

 向日からは1分に一通という頻度でメールが届き、しばらく放置しているとメールの件数が向日だけでも60通に上っていた。あれには滅多なことでは驚かない跡部もその顔を崩すまでに至った。

 なるほど一日に100件メールをするという話は嘘でないらしいと変な意味で畏怖してしまったのも事実である。

 そしてその日から部活やら生徒会やらの仕事の合間を縫って樺地に会おうとする跡部を止めたのは、事情を聞こうと集ってきたメンバー達である。

 廊下で会えば「詳しく聞かせろ」と言われ、詳しく聞かせれば「なんて自分勝手な奴」だとか散々な言われようだった。ただし向日は一人だけ、何も言わず跡部を平手打ちすると、驚く跡部の前でニヤリと笑った。「―――まあ、クソクソムカツクけど、いーんじゃん?…気付けて良かったな、跡部」と言われてしまえば誰も―――勿論跡部も何も言えず。

 友達思いでもあり、後輩思いでもある向日らしい行動だった。忍足は一人「ただ単に口よりも先に手が出るっちゅーことちゃうん?…ま、俺はそんなアイツやから親友やってんねんけど」と漏らしていたのだったが。

 

 それから何かと時間を作ってはいたのだが、タイミングが悪く―――いや、悪くされ―――た結果、これまで会えずじまいだった。

 これはほとんど暇な状態を作らないとと跡部が考えたのは一昨日のことだった。

 部活での仕事も生徒会の仕事も昨日のうちに終わらせて、そして何とか今日の余裕を生み出したのである。この機会を逃したら次いつ時間が作れるかは分からなかった。

 

 (ったく、俺様にここまでさせやがって!)

 

 会えたら先ず文句からだな、と跡部は密に決心した。

 だがそこまで考えて、はたして会った時に巧く言葉が出るだろうかと、彼らしからぬ不安が頭をのぞかせる。

 気まずくなるのが樺地相手に初めてなのは、樺地だと気まずいという感情を抱かないからだと気づけたのはいつのことだっただろう。そして同時に、あれほど傍に居てくつろげる相手だと思っていた相手が、これほどに緊張する相手に豹変することもあるのだと跡部は悟った。

 

 よし出会ったら先ず、と考え始めた跡部は、そこが廊下であるということを忘れていた。

 

 「…跡部?どうしたの、そんな顔で」

 

 なので跡部は気付かなかったのだ。

 すれ違った人物が、知り合いであることに。

 

 

 

 

+  +  +

 

 

 

 「―――滝、お前なんでここに」

 「日吉に呼ばれてね」

 

 ほらこれ、と言って滝が手にあるものを示した。よく見ると何かのポスターだったりタオルだったりで、見事に統一性をなしていない。だが跡部には理解できたようだ。

 

 「…忘れものか」

 「そ。この間の休みで部室を一斉掃除した時に、全然使われていないロッカーから出てきて驚いたって言ってたよ」

 「……使ってないスペースもすっかり私物化してたからな」

 

 自分のロッカーは何か会った時抜き打ち検査をされることがあった氷帝テニス部は、宍戸などはテスト、忍足などは持ち込んでいた恋愛小説、向日や芥川は漫画本などを未使用のロッカーに入れていた。いわゆる私物を入れておくためのロッカーである。

 レギュラーの更衣室は、レギュラーしか使えないため空きロッカーがかなりあるのだ。

 勿論そのカギは教員室に行かないと取れないはずなのだが、榊以外の教員がテニス部の詳細な事情を知る由もなく、教員室へと訪れたレギュラー部員に、『今日鍵持ってくるの忘れて…』と言われればすぐに渡してしまうらしい。

 勿論、榊にその言い分は通用しないので、誰もが榊が教員室に居ない時間を見計らうのだが。

 

 そしてそんな事情を知っていても特に跡部は告げ口などしなかった。

 知ってはいたが、「バレても俺は知らなかったことにするからな」という一言を部員達にかけるだけで、それ以外のことはしていない。

 自分も部室に色々なものを持ち込んでいるので―――別にそれは違反のものではなかったが―――跡部には色々と後ろめたいものがあったのかもしれない。部員たちが空きロッカーを私物化していたとしても榊に言ったりすることなどなかった。

 検査を行っていた榊がソレを知っていたのかどうかは定かではない。

 もしかしたら知っていて黙っていたのかもしれないし、知らなかったのかもしれない。いずれにしても、跡部たちがトップだった一年の間、抜き打ち検査にひっかかったことはなかった。

 

 そしてその空きロッカーの荷物を片付けるのを忘れていたのだろう。

 あの真面目な後輩がそれを発見した時の顔はどんなものだったのだろうか。

 

 「…それで、お前が取りに行ったのか」

 「『滝さんなら確実に取りに来てくれると思いまして』、だって。すごい信頼だと思わない?」

 「ま、俺様のものは置いてねえしな」

 「いや、日吉は多分気を使ったんだと思うよ?跡部忙しいから」

 

 責任があるはずの跡部ではなく滝を呼んだのはそのためだと滝は言う。

 

 「俺だって、何も置いてないからね」

 

 ニッコリとほほ笑んで、滝は言った。

 

 「…そうか」

 「そうだよ」

 

 まさかあの後輩がそこまで気を使うとは思えない、いや気は使うが、どちらかというと呼びやすいのが滝だったというだけのような気もしなくはない。

 だが日吉も今部長としての忙しさを味わっているのだろう。もしかしたらその労わりも含められているのかも知れなかった。

 

 「――――そういえば」

 

 ガラリと雰囲気を変えて、どこか遠い国の話をするかのように滝は切り出した。

 

 「向日に殴られたんだって?」

 

 その口ぶりのおかげで一瞬何のことか分からなかった跡部は、自分のことかと思い出すと苦笑した。

 

 「―――どうやら知らねえ所で迷惑かけてたらしい…派手に殴られたぜ」

 「よく跡部が怒らなかったなあって、宍戸が漏らしてたよ」

 

 それはそうだろう。

 本当は跡部だって、殴られて弱るような性格でもなかったので殴り返す勢いで立ち上がったものだったが、向日のあの言葉に加え、さらに泣きながら笑顔を浮かべられたのではたまったものではない。

 もしかしたらどこかで心配させていたのだろうか。余計な御世話だと思いながら、あの友達思いの友人の優しさを知っているだけに申し訳ないような気分になった。

 だからこそなにも言わなかったのだ。

 

 「…まあ、あいつにも心配させちまったからな」

 「………うん」

 

 軽く目を伏せて少し俯いた滝に、跡部は先週の事を思い出した。

 

 『――――自分の気持ち、早く気付かないならね』

 

 呆然としていた跡部に滝は確かにそう言った。ということは、あの時にはすでに滝は分かっていたのだろうか。跡部の本当の気持ち―――跡部でさえ気付いていなかった―――想いを。

 (…そうだとしたら)

 自分を客観視することは難しいが、どれだけ滑稽に映っていたのだろう。内心忸怩たる心地がして、跡部は少し咳払いをする。

 

 「これから―――樺地に会いに?」

 

 そんな跡部を知ってか知らずか、滝は頬笑みながら跡部にそう言った。

 跡部は跡部で突然滝に話題を振られたので少しあわてて答える。

 

 「あ、ああ。見かけてないか?」

 「ううん。部室にもいなかったみたいだし…部活じゃないならもう帰ってるんじゃない?」

 

 やはりそうだろうかと跡部は不安に思ったが、それでも断定されたわけではない。もしかしたら下駄箱に居るのではないかと思い直し、ならば先を急ぐことにした。

 

 「とりあえず下駄箱を見てみる…じゃあな」

 「あ、うん分かった。―――――――ね、跡部」

 

 呼ばれて、すでに歩んでいた跡部は振り返る。

 だが滝は跡部に背中を向けたままだった。

 

 「何―――」か用か、と続くはずの跡部の言葉は、

 「上手くいくといいね」

 

 という言葉に遮られた。

 

 少しの沈黙の後、跡部はそれが自分あての言葉だと悟り、不敵に笑った。

 

 

 

 

 「当然だろ」

 

 

 

 ――――そういった跡部の言葉が、滝にどう聞こえたのかは分からない。

 

 

 

 

+  +  +

 

 

 

 

 少し急ぎ足で歩くと、昇降口に着くまでにそう時間はかからなかった。とは言え、一学年に多数のクラスを抱えている氷帝学園の下駄箱の数は膨大で、そこからさらに一人のものを見つけるとなると時間がかかる。

 いつでも樺地とともに居た跡部とは言え、中等部と高等部に別れてから下駄箱の場所を確認するということもなく―――そもそも一緒に中等部に居た時でさえ跡部は知らなかった―――ため、クラスを探すところから始めなければならなかった。

 しかしそれに跡部が嘆く必要は全くなかった。

 

 探し始めて直ぐに跡部が見つけたものは、一人大きな体を丸めて今まさに帰ろうとしている男の姿であったから。

 

 (樺地――――)

 

 跡部は探していたにも関わらず、咄嗟にその身を隠した。

 途端に激しくなる鼓動に驚いて、樺地相手に何緊張することがあるんだと心の中で震える体を叱咤するも、上手く思い通りにならない。

 

 (いや、違うな、アイツ相手だから、)

 

 緊張するのか、と半ば絶望するような気持ちで跡部はロッカーに寄りかかりながら空を仰いだ。

 まさか、と思うも震えは止まらず、吐息まで揺れてしまう。

 女々しい、と囁くように跡部は自嘲した。

 

 (ああいけねえ自嘲癖までついてる)

 

 だがそれもたった一人のせいだと、そのたった一人に告げたらソイツはどんな顔をするだろう。

 

 想像する余裕などなく、高鳴る心臓に目まいがした。

 

 (…なあ、どうする樺地)

 

 実はまだ跡部は覚悟を決めていたわけではなかった。

 この何十年と近くに居た幼馴染。考えてみれば兄弟でもなく友でもなく幼馴染と呼ぶには近すぎたこの距離に安心していたのも事実だ。いや安心という訳ではない。跡部はそれまで自分の気持ちを自覚していなかったのだから。

 そして、今もその関係のままで居たいという気持ちがある。

 それは決して一線を越えるのが嫌なのだという訳ではなかった。むしろ自分の想いを自覚してしまった今、このまま進むこともなくとどまっているのは無理というものである。

 それでもどこか一線を越えるのが怖いような、不安であるような、そんな心持ちがしてしまうのだ。

 

 (このまま越えても、お前はいいのか?)

 

 だが最初に行動をとってきたのは樺地の方だ。

 その質問に対して彼の行動以外に最上の答えなど存在するだろうか?

 

 跡部は意を決して掌を握りしめた。すぅと息をすって樺地に近づく。

 

 靴に履き替えている樺地は、最初近づいてきた人物が跡部とは分からなかったらしい。

 だが近づいてきた人物がいつまで経っても自分のそばを通り過ぎないのを不思議に思ったのか、樺地は緩慢な動きで顔をあげた。

 そしてそこに立っているのが跡部だと気付き、心底驚いているようだった。

 今であれば、樺地の表情が読み取れないとよく漏らしている彼のクラスメイト達も、樺地が驚いたと分かることであろう。それほどに樺地にしては大きな表情の変化だった。

 

 「あ…とべさん、」

 

 立ち上がり、喉からはがすようにそう呼んだ樺地の声色から、跡部は樺地が跡部に会うのを待ち遠しく感じて―――しかし恐れてもいたのであろう事を感じた。

 期待も不安も全てが入り混じっている声から跡部が覚悟を決めるのはたやすかった。

 

 (一撃必勝、って四字熟語があったな)

 

 これほど張り詰めた空間で、跡部はどこか見当違いなことを考えていた。

 そしてある意味それほどまでに緊張していた跡部は、口を開いてたった一言だけ放った。

 

 

 

 

 「――――好きだ」

 

 

 

 

 

 そして不思議なことに、このときの跡部は、周りに人がいるかどうかを確かめるほどの余裕がなかった。

 遠くでサッカー部が何かを叫んでいるのが聞こえる。校庭に居る女子たちの笑い声が校舎にまで響いている。

 

 見れなかった。

 見る余裕などどこかに行ってしまった。

 

 秋の清涼な風がさらされた素肌をそって撫でて通って行くのを心地よく感じたのは、おそらく火照っているからだ。

 

 それだけしか跡部の記憶の中にはない。

 

 そして恐ろしく長い沈黙。

 静寂の中には、背景の音以外に相手の息遣いすら聞こえてこない。

 

 

 

 

 何分―――いや何十秒そしていたのだろう。

 

 眉間にしわを寄せた跡部はゆっくりと瞼をあげた。

 

 

 

 不気味なほど静かだ。

 ――――まるで、世界に自分しかいないと思えるほどの。

 

 

 

 (…まさか、いねえわけじゃねえだろ?)

 

 

 馬鹿げた―――けれどその時の跡部はいたって真剣に思った―――考えがふと頭に浮かんで、跡部はおそるおそる樺地の方に顔を向けた。

 

 

 

 

 

 

 はたして樺地はそこにいた。

 

 

 

 

 ―――――けれど、その顔を見たとき跡部は全身の血が引いていくような錯覚を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …何故なら、樺地はそこに静かな悲しみと目に見えるほどの絶望と、そして、本当に少しの怒りを湛えた表情で立っていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

to be continued